ぼろ雑巾の悲惨な人生に微笑みなし健康なし悪者と地位に笑みと健康

スポーツはどろどろの肉体労働とはいえません。これはたんなる異性にもてるための道具です。自分が活躍している姿を見せることで、注目をあびることができるからです。そして、モテルのです。もてるというのは、じつは、何よりも大事なモチベーションだと思うわけです。異性の目のないところで、どろどろの肉体労働が好まれるわけがありません。異性がみているから、ハリが出てやる気があがってきます。近くに異性がないような状態で、いくら物事をやっても、何の意味もないというのがまず一つあります。人生はその時点で終わったも同然なのです。異性の目につくことが、自分のモチベーションをUPさせ、自分の健康に大きな影響を与えます。

スポーツはやりたいものですが、誰でもやりたいものであるから、これをやることは、苦ではありません。楽なのです。しかし、中にどろどろの肉体労働をすることは、苦なのです。楽なことはまったくないといってよいでしょう。ないないづくしで、身も心もぼろぼろの雑巾のようになり、仕事もやっていないという社会評価を得て、人生が全部ぼろ雑巾で終焉していきます。

仕事をやっていると評価を受けるのはいったい誰でしょう。美女に囲まれ、エアコンでぬくぬくと椅子に座って、次の休みの日にはどこへ行って遊ぼうかと考え、来期の自分のボーナスをいかにUPさせるかを考えている、人事部だけがおいしい汁を吸っているのです。何にもせずに、疲れた疲れたといって、ぶくぶく太った札束を持って帰って、よくがんばったねと奥さんにキスをされる人事部なのです。

一方では働いているのに、ぼろ雑巾のような顔になって働いていても、“何にも働かずに、自立もしない”と、女のかけらも寄ってこない、ぼろ衣のぼろ雑巾のように年金も何にもない、薄っぺらい、100均の貧乏マーケットに並ぶ、浮浪者扱いで終焉します。

ほんらい、ぼろ雑巾のように働いたなら、10倍の給料を与えるべきなのです。それが、ぼろ雑巾は、人事部の給料の10分の1にもならない、顔も心も人生も異性も食い物も家も健康も全部、ぼろぼろのぼろ雑巾で終わるのです。

ボロボロにすべきはいたれりつくせりで、人を小ばかにしながら生きる人事部なのであるということを肝に銘じておく必要があるわけです。なぜ、人事を咎めないか、自分がそうなりたいと思っているからであって、ぼろ雑巾にはなりたくないためなのです。